2009年5月23日(土)

本部報6月号(P15〜P19)に「本人の思いと親の思い」と題して岡山心友会員と親、そして先生との座談会が掲載されていますが、ページ数の関係でとても短くしてあります。
もっと「本人の思い」「親の思い」をお読みになりたい方は、テープお越しの原稿を載せましたのでお読み下さい。 少しでも皆様のお役に立てばとても嬉しく思います。

*病気の理解について
*学校について
*困ったこと、いじめられたこと、手術の傷跡
*思春期、進路について
*就労について
*結婚・出産について


吉川…心友会の紹介から
谷本直美さん(大血管転移症)、神宮千恵子さん(ファロー四徴症)、佐藤好美さん(大動脈弁狭窄症)、清水克俊さん(ファロー四徴症)、濱田耕一郎(ファロー四徴症)、神庭充さん(アイゼンメンゲル症候群)

親の紹介
立分さん、高杉さん、飛田さん

司会…今日は岡山大学附属病院の笠原真悟先生と赤木先生に来ていただきました。親と心友会の座談会ということで、それぞれの立場からの意見や思いを語り合いたいと思います。はじめに、子どものころの話から。自分の病気を理解したのはいつ頃ですか?


*病気の理解について


谷本…理解をするというか、生まれつき、物心ついたときには…。赤ちゃんの時に手術をして、その後はずっと元気だったので…。手術のことも覚えていない。

高杉…毎月の受診はどうだった?

谷本…大阪まで行っていたから、新幹線に乗るが楽しみでした。

神宮…元気な子と遊んだりしていたので特に気にしたことはない。

佐藤…小学生のころ、体育ができなかったり、送り迎えをしてもらったりしていけど、心臓が悪いからどうとかは思ってなかった。それより、他の人よりできないことが何個かある感覚だった気がします。

清水…保育園の時ぐらいから、なんかおかしいな?と。他の人よりしんどくなるのが早い。それで、みんなと違うと思った。

濱田…マラソンはダメとか、軽い制限はあったけどみんなと同じように遊んでいたし、つらいときはしゃがんで休み、プールの時はいつも親が来ていて、そういうとこが他の人と少し違うかなと感じた。手術してからは、親が来ることもなかったし、中学も体育もふつうにして柔道とかもしていた。

飛田…手術をしないといけないと言われた意味は理解できた?

濱田…手術しないと数年もたないといわれたけど、僕自身には自覚はなかった。いろいろ検査をして肺動脈を広げないと「死ぬよ」と言われ、ボロボロ泣いて「手術する」と9歳のときに言った。

佐藤…私は手術よりもカテーテル検査が怖かった。

神庭…子どものころは手術ができなかったから、歩いてもしんどいし、急にばたっと倒れたりしていた。

吉川…医師から「手術する」と聞くのと親から聞くのはどっちがいいのでしょう?

笠原先生…年齢に応じてですね。小学校以前の子だと、そういう話をしても入院への怖さがあって、それは手術であろうがカテーテル検査であろうが同じですよね。小学校以降にでは、それまで手術をしたことがない子でも少しずつ自覚が出てきますね。

吉川…うちの子は2回目が小学校4年生だった。前の晩に夜電気が消えたときに「もうお母さん帰ろう!怖いからしなくていいから帰ろう」と言った。その時に、手術は小さい時のほうが楽だなと感じました。

谷本…大きくなってからだと怖いから絶対覚えてないほうがいい。

神宮…私も手術のことは覚えてないです。

高杉…小学校5年生だったけれど、その前に「死」について二人で話をした。手術についてどう思っているのかを聞きたくて「死んだらどうなるのだろうね?」という話をした。

笠原先生…「死」ということを小学生以降だとだんだんと理解してくるので、本人にも話をせざるをえなくなる。親に話をするときに必ず子どもも一緒にいるから、その時ある程度の年齢の子には「死ぬ」という言葉は一切使わないようにしている。文字で書いて親に「生命の危険性=死」というのはこういうことになりますよと話はしますけど。自分が子どものころのことを考えると、友だちが溺れて亡くなったとか、おじいちゃんが死んじゃったとか、「死ぬ」というのがだんだん理解できてくると思います。だから手術をして死にますというのは子どもにはすごい恐怖になってくるので「死ぬ」という言葉に出さないほうがいいと思う。その時は「手術だから絶対死なない手術というのはない」とそういう危険性がありながらも手術を受けざるをえないのですが。

飛田…うちの子は男の子で弱音を吐かない子だったけど、中学のころまで不整脈が続いていて、無茶をすると大変なことになるよと親が言ったとき、「どうせ僕は長生きできないから生きているときにしたいことをするんだ」と無茶ばっかりしていました。その時に初めて「死」を意識したと言っていた。

高杉…うちの子は手術をする前にネフローゼで入院して、心臓病ではなく腎臓病で食事制限や塩分制限があって、それが本人にはきつく、仲良くなった高校生くらいの糖尿病の女の子と「ポテトチップを一袋やラーメンが食べたいね!」と言っていて、「ぼくは年をとって死ぬときは肺がんで死にたい。肺がんだったら食べられるから」と言ったのです。5年生の頃だったのですが、そのころは薬の副作用でテンションが高くなっていたのでよくわかってなかったみたいですが、そのあと入院、手術になって、死んだら今の思いとかどこに行くのかな…とかいう話をした覚えがある。手術が怖いというのはあまりなかったような気がする。

立分…3度目の手術が12歳で小学校6年生のときだったので、修学旅行に行きたいからそのあとに、とお願いした。手術が決まってがんばろうねと言ったら、がんばろうという気持ちではない。「ふつうだ」と言ったことが印象的でした。しないといけないからするのであって、今まで手術を3回していて、自然に手術をしないといけないと思っていて、小さい頃からまだまだ手術をしないといけないと言っていたので、自然に覚悟ができていたのだと思います。手術室に入るその時も一言もいやだとは言わず黙って行った。親は「死」をすごく意識していてとても怖くて、もし生きて帰ってこなかったら、今何を話したらいいのかと思っても何も言葉が出ないで、ただ涙が出るだけ。娘も涙をふきながら麻酔のため手術室へ入っていったのを覚えている。親はただただ苦しいだけでした。手術のあと元気になってから「本当に怖かった」と言っていました。今は元気になっているのでこういう話ができますが、もう一度手術が残っているので、大きくなればなるほど手術を自分のものとして受け入れることがとても怖い、でも受け入れないと生きていけない。親としては12歳の手術のとき、自分が「死の淵」に立たされている思いで、手術を待っている間、「人間が死ぬというのはこういうことなのだ」という限界まで私の気持ちがいった。これをもう一度味わうのかと思うととてもいやでした。

吉川…親の気持ちと子どもの気持ちは違っていて、子どもはそこまで「死」というものを感じていないから、でもお母さんの顔を見たら、「つらいのだろうな」というようなことを感じるのでしょうか?

佐藤…12歳のバルーン治療の時はそれほどではなかった。でも30歳の時の手術はつらかった。

高杉…手術を受ける本人はある程度はもしものことを考えています。

吉川…年齢が大きくなるとやはり考えるのですね。私は病院の先生には手術の成功率をすごく聞いたのですが、やはりみなさん聞かれますか?

笠原先生…かなり言われます。最近は医療情報の公開が出てきているので、学会では各施設の公表はしないと言われていますが、病気ごとの成功率とかは出しています。どの病院も話はしますが、あくまで参考です。90%の成功率といっても、本人にとっては「生きるか死ぬか」であって、安心の材料にはならない。今、先天性心疾患の危険性は1%未満になっていて、100人手術したら99人は元気になるのです。ただ、病気の種類によって違います。うちの病院データでは「左心低形成症候群」は90%の成功率ですから、全体から見たら10倍高く、非常に危険性は高い。それと生後6か月以内で手術をした人は5%以上の危険性になりますから5倍以上になります。しかし同じ病気でも個人によって違いますし、再手術となるとまた条件は悪くなるということで数字はあくまでも参考ということ。ただ、いろんなところからセカンドピニオンで来られる人はその数字をすごく聞いてこられます。

吉川…佐藤さんが30歳のときのことを言っていましたが、赤木先生は大人の患者を診ていらっしゃいますけどいかがですか?

赤木先生…大人の方は手術をするタイミングが難しいです。医者からみた手術のタイミングは状態が悪くならないうちにするのが一番いいのですが、その時は比較的本人には症状がない。医者が診ていいタイミングと本人が納得するタイミングが必ずしも一致しないのです。

吉川…子どもも親もこんなに元気なのに手術をしないといけないのかと思ってしまう。先生は悪くなってからだと回復力も悪くなるし、元気なうちにと思っているのはわかりますが、親や本人はなかなか踏ん切りがつかないですね。

立分…特に元気に生活していたら決心がつきません

吉川…子どものときは親の判断だけど、ある程度大きくなると本人なのでなかなか難しいとは思います。


*学校について


吉川…学校でいじめられたとか、病気のことで何か言われたとかの思い出がありますか?谷本さんはマラソンがダメって言われていたのに親にナイショで走ったりしてお母さんがびっくりされていたけれど…。

谷本…身体が走れたのでやってみたかったし、何周か走ってしんどくなったら休もうと思った。

濱田…みんなからは、止められるけど、とりあえずやってみないとわからないと思ってやってみる。

佐藤…「できるか?」と言われてもやったことがないからわからない。

谷本…しんどくなったら身体が勝手に止まるからって思う。

吉川…先日の成人先天性心疾患の佐野先生のお話の中で、昔は「あれもダメ、これは我慢しなさい」と言っていたけど、今はダメという言葉は使わずにあれもできる、これもできるとできることをみんなに言っている。「できない」とばかり言っていると逆にストレスがたまり、それが原因で病気になってしまう子もいるからと言われていた。

笠原先生…私は慎重派ではないので、必要ないと思えば薬も止めていくしどんどんフリーにしていってあげたい。ファロー四徴症だからとか大血管転移症だから制限が必要…というわけではない。それからフォンタン手術をした人でも、長い間水中に入って息を止めるのはしづらいと思いますが、水泳だって普通にしていいと言いますし、長距離のマラソンでも自分の範囲内であればグランドを走ってもいいよと言います。その個人によって違ってくると思います。「こんなこともできる」という事例をどんどんみんなに言ってあげて、その中で試してもらう。苦しければたぶん本人はしないだろうし、自分でコントロールできるのではないかと思う。

飛田…結局、親とか学校の先生が思うのは、「ダメ」の根拠がわからない。わからないから心停止になってしまうとか死に至るとか思ってしまう。だからそんな賭けのようなことはしなくてもいいという発想になる。

吉川…昔、学校で突然死というのを言われて恐れていたのではと思う。ある男の子が、水泳をしてはいけないと言われていて、高校になって元気になって、体育で水泳があり泳いでいいと言われたが、泳いだことがないから入れない、許可が出てもできなかった。少しでも小さい時からしていれば、調子がよくなった時にできるのではないかと思った。

赤木先生…学校の運動をどこまでするかは医者にとっても判断は難しく、管理指導表にはしてもいい競技は書いてはあるが、おおまかで判断が難しい。

高杉…親がさせてもいいなと思っても責任問題を考えて学校が止めることがある。時々勘違いされているのが体育の先生で、心臓が弱いんだったら運動で鍛えてあげようと思っている人がいる。

神庭…小学校の運動会の時、小さいときに手術ができなくてしんどいのに走りなさいと言われた。学校の先生は心臓病がどういうものか解っていなかった。

飛田…怖がるのも知っていて怖がるのと、知らずに怖がるのがある。

吉川…いい先生は養護の先生、校長と主治医に話を聞きに行って説明を聞いてくださったりするけれど、そこまでしていただくと安心する。そういうことをせずにただ心臓が悪いから全部できませんとか、山登りはダメとか、海の学校、山の学校にも行けないことがある。理解ある学校はできることはさせてくれたりと、心配だったら親の付き添いもOKだったり配慮してくれる。

佐藤…担任の先生によって違う。いい先生のときには、私がちゃんと見るから参加しようと言ってくれて、山の学校も修学旅行も途中できないことはやめる、できることはして、途中休憩しながらでも参加させてくれた。これは無理だけど、これはできると考えてくれる。他の先生はダメと言っていたが、その先生は助けてくれた。

立分…私のところも、先生がよくて養護教諭と5、6年生の担任の先生が、まだそんなに普及していないAEDを用意してくれていた。自分の子のためでもあるし、他の子のためでもあると、修学旅行に持って行ってくれた。先生によって親もずいぶん安心できるし助けられる。

高杉…私のところは運が悪く、小学校のころ担任が代わってばかりだった。こちらで担任や校長は選べないのかとでもあきらめるしかない。

立分…担任が代わった時に引き継ぎができているのかが不安。

高杉…担任が代わってから磁石の実験があるからと相談の電話があった。ペースメーカーを入れているので心配されたみたいで、でも筆箱やランドセルに磁石がついているのでそんなことを聞かれても今更考えたことないので、なんとなく学校と歯車が合わなくなり、学校生活に思うことが出てきたようだ。

吉川…上に学年が上がる時に親としては引き継ぎができていると思っているのに全然されていない。1年間担任すれば様子がわかるのに、それを次の担任に伝えることができないのか。

高杉…校長先生もよく代わったのでしかたないかなと。

飛田…私のところは小学校3年生まで親が教室のすみに付き添って一緒に勉強していた。その当時は先生も恐ろしかったのだと思う。

濱田…私は岡山市に住んでいて、親に聞いた話では、幼稚園に入る時に大変だったらしい。でも市立の幼稚園で、すぐ隣の小学校に同じように通ったので、引き継ぎがされていたかと思う。中学校もよくしてくれて、自分が入学するということで1年生の時にフロアーを1階にしてくれるといった配慮があった。中学校のときに転校したが、学校間の引き継ぎはなかったようで、体育の先生はこれはやってはいけないと言ってもできることはやれみたいな感じだった。クラスも2階、3階になったりした。

谷本…母親が小学校、中学校、高校と、毎年説明に行ってくれて1階のフロアーにしてほしいと頼んでいた。

高杉…肢体不自由児が学年にいるとその子に基準が合うので、車いすとかが優先で心臓病児には合わせられない感じというのはあった。

神宮…私は普通に2階や3階にもなった。

佐藤…私は3階とかにもなって、移動教室とかも大変だった。

赤木先生…先生と親の話し合いの時間は充分取っているのですか?

高杉…話し合いの時間をあまり取り過ぎると過剰に心配症になったりする。思春期のころは本人から学校にあまり言ってくれるなと言われた。普通にしていたいのに、普通でいられなくなるのはいやだと。

飛田…親と先生の話し合いで先生が理解をしてくれて、本人がしたいことはさせてくれて、そこまで理解しようと思ってくれる意欲があるかないかで違ってくる。

吉川…笠原先生のところにも学校からそういう質問はありますか?

笠原先生…担任や校長先生が一緒に来られることもあるし、文書での問い合わせもあるがそんなに多くはない。どこまで運動させていいのか、また緊急の場合の対処。何が起こりやすいとか、運動中にどんなことが予想されるか、具合が悪くなった時にどんな対処をすればいいかというようなことを聞かれる。

吉川…そんなふうに主治医に話を聞きに行こうと思ってくれる先生が増えるといいですね。


*困ったこと、いじめられたこと、手術の傷跡


吉川…手術の傷跡について、気になりますか?

谷本・神宮…気にならない。

吉川…清水君は傷があまりきれいでないのでお母さんが昔は心配していた。

清水…覚えていない。多分都合の悪いことは覚えてないのだと思う(笑)

佐藤…子どものころは気にしてなかったが、大人になってできた友だちに見せるのは抵抗がある。心友会の友だちには平気だけど。普段も服から傷が見えていると、他の人の視線を感じる。心友会の友だちの中にはアクセサリーなど傷に視線がいかないように工夫している人もいる。

吉川…男の子は気にしない?

濱田…気にしない。

立分…彼女とかできたとき、いつ頃その病気や傷のことを話すの?

濱田…付き合ううちに病気のことは話をするし、気にしたことない。病気のことをわざわざオープンに言う気もないし、隠す気もない。

赤木先生…以前何人かにアンケートしたことがある。親は傷跡のことを気にするが、本人はほとんど気にしていなかった。その人の性格の問題で、本人にすれば身体の一部、傷跡も個性の一つになっているのかも。

濱田…親が隠すようにしていたら子どもも隠すようになるのでは。

高杉…青森の全国総会の時に、昔は心臓病児を隠していた時代があったから傷も隠していたかもしれない。今は本人も心臓病のことをオープンにしているから、病気も個性の一つと言える時代になってきている、という意見があった。

笠原先生…親が気にするほど子どもは気にしていないということですね。

清水…小さい時はいやだったけど高学年くらいになると自分で「おれ改造された」とか言って見せていた。

飛田…女親が女の子に対して思うことはあるかもしれませんね。

神庭…わたしは小学校のころ手術ができなかったので傷がないかわりにチアノーゼがあったから、階段上がったりすると唇が白くなり、それをからかわれたことがあった。

吉川…私の子はチアノーゼがあって、そろばんのときには指先がふくれていてうまくはじけなかった。でも、周りもだんだん慣れてきて、寒かったりすると気を使ってくれた。

司会…子どものころに病院でしてもらいたかったことはありますか?


心友会全員…病院に行くのは楽しみだった。外来で待っている間に親どうし、子どもどうしが友だちになっていた。今も病院に行くと病気友だちに会えるから楽しみ。みんな病院に行く日を合わせていた。


*思春期、進路について


吉川…思春期とか、進路を考えたときのことをお聞きしたいと思います。

立分…中学生から高校生になって友だちが変わるじゃないですか。その時の心と身体のストレスと、それから友だちに病気のことをどういう風に公表するか教えてください。

佐藤…私は同じ中学から高校に行ったのが一人だった。だからそれが嬉しくて…。まっさらのところから始められるじゃないですか。すごく楽しかったのです。

立分…病気のことを友だちに言わなかったの?

谷本…もちろん言うよ。

佐藤…どのタイミングで?

谷本…いっつも!誰にでも。クラスの子に。

吉川…でもみんな信じないでしょ?

谷本…体育はできることだけをしていたから、休んでいると「直美ちゃん大丈夫〜」って、軽い感じだったなあ。もっと深く考えなきゃいけなかったかな?でも女子高だったから、それがよかったのかな。

立分…お母さんが動いたのかな?

谷本…初めの懇談の時だけ。でもいろいろしてくれたのかな?

吉川…お母さんに感謝しないといけないね。今もだけど。

谷本…はい。

吉川…佐藤さんはどうだった?

佐藤…私はどのタイミングで言ったらいいのか、今でも苦手で…。

吉川…見た目じゃ分からないものね。

佐藤…今はあんまり動けないから言わないといけないと思っているんだけれど、どのタイミングで?とか、どんな風に言ったらいいかとか考えてしまうとなかなか言えなくて。

吉川…佐藤さんは子どもを保育園に入れる時に言われたんでしょう?お母さん元気そうだし、働いてないのに何で保育園に入れるの?って。そしたらお母さんが言ってくれたんだよね?

谷本…だから私は幼稚園に入れることにした。でも、延長保育があって、病院の日とか延長してくれるところに決めた。

神宮…私も。

清水…体育で着替える時とかに分かるから、聞かれたらその時には言うけど、クラスでも女子とかは知らない人もいたと思う。

吉川…やっぱり、どこかで自分で言わないといけないのでは?親が言ったほうがいいのかな。

佐藤…高校生になったら、親は先生とだけ話をするし、先生はわざわざ友だちに「心臓が悪いんですよ」なんて言ってくれないから、自分で言わないといけないんじゃないかな。

立分…うちの子は男女共学の高校に行っているけど、入学してすぐに「クラスのみんなに公表していいですか?」って先生に聞かれたから、「本人に聞いてください」って答えた。子どもは言って欲しいって言ったみたいで、後は担任の先生にお任せしたけど、すごくいいタイミングで、体育の授業の前に男子も女子もいる前で、さらっと言ってくださった。やっぱり親も出て行って先生と本当に腹の底から話し合えると、いい形で進んでいくなあと思った。佐藤さんのお母さんも学校に行って、校長先生とかとお話されたのだよね。

佐藤…そうだったと思う。でも、話に行った時には、まだ入学前だったけど、すでに教室とか決まっているからもう遅いですって言われて、結局4階の教室だった。学校は4階の教室から4階に移動する時も、一度3階に降りてまた上がらなくちゃいけなくて大変だった。

飛田…休憩時間は、時間はあんまりないし、トイレに行かないといけないし、大変だったでしょう。

吉川…中学からは授業開始時刻に着席してないと「遅刻」がつくじゃない?どうしていたの?

一同…走ってた!

佐藤…ハアハア言っていた。トイレになんて行けないよね〜。

吉川…「心臓が悪いので、教室移動にも時間がかかる」って親から一言学校に言うべきじゃないかなあ…。

立分…親はそこまでは出て行かれない。高校は義務教育じゃないし、子どもも親が出て行くのは嫌がるし、自分で言うっていうので、今は全部子どもに任せています。

吉川…じゃあ中学の時は?

立分…うちはだんだん自分で言うようになってきたと思います。きっかけは小学校6年の時の修学旅行で、どうしても親についてきて欲しくないと言った。その時に校長先生にお願いして、配慮してもらいながら行けたんですけど、その時くらいから、だんだん自分で言うようになってきたと思います。ただ、高校入学の時は、学校側から身体のことで学校側に伝えたいことがある人は保健室に行くようにという文書があったので、入学式の日に私は子どもと一緒に保健室に行きました。

一同…そうだった!保健室へ行ったなあ!思い出した!

飛田…友だちに自分の病気について言った?

濱田…なんとなく言ったような。気にして言うことも無く…服を脱げば分かるし。

神庭…僕の場合は体育の時とか少し走ったりしたら唇とか紫になるでしょ、だから皆に「もう走るな」みたいに心配されて、その時に初めて公表するって感じだったかな。

飛田…うちの子は、中学生の時にアブレーション治療をして不整脈がなくなって、普通の子と同じことができるようになった。そうしたら、心臓病であったことを否定したい、知られたくない、普通の子のように振舞いたい、心臓病を忘れて逃げたいっていう心理を強く感じた。

吉川…小学校の時には一年間くらい入院していたものね。

吉川…子どもにもいろいろな思いがあったのじゃない?学校に行きたいとか。

飛田…そう。だから逃げたい、忘れたい気持ちが強かったと思う。

吉川…子どもも言える子と言いたくない子に分かれるのかな。

谷本…性格によるんじゃない?

高杉…うちの子も「普通でいたい」って言う。特別視されたくなくて。友だち関係も心臓病だからという意識は全くないみたいな気がする。

谷本…そういう意識はないけど、言ったほうが安心じゃないですか?だってできないことが絶対あるもん。早く歩かれたらついて行かれないとか…。

濱田…僕は、ほとんどみんなと同じことしていましたよ。根治手術の前はしんどい時はしゃがんだりはしていたけど、小学校の時にはドッジボールや鉄棒も縄跳びもしたし、楽しいから皆と同じようにしていた。根治してからは今まで以上に動けて、冬は運動場を皆と同じように走っていた。「マラソンはダメ」と医者に言われても、走っていたなあ。今でも周りの人に心臓病だなんて信じてもらえない。でも職場の上司とか同僚には言いますよ。障害者手帳も持ってるって言うけど、「そりゃ詐欺じゃ〜」って言われてる(笑)

吉川…うちの子は、小学校4年生で手術をしたけど、チアノーゼも出ててしんどくて、縄跳びができなかった、「けんけん」もできなかった。岡山大学にカテーテル検査で小学校1年生ぐらいに入院した時に、廊下を「けんけん」とスキップをする。本人はスキップしているつもりだけど本当にへたくそでね。小さいときから身体を動かしていなかったので、できなかった。だからお母さんスキップができたというときは喜んで言ってきたし、縄跳びでもたった1回跳べただけですごく喜んで言ってきたのを覚えている。重度の子どもはこんなのかなと思った。できないながらも少しずつでも身体を動かしていたらまたそういうことに対応できるのかなと思う。

笠原先生…親の気持ちと子どもの気持ちが中学校を過ぎてくると微妙にずれてくるのかな。親としたら隠したいのかな?でも子どもはそれほどまでに思ってない。できない時には、口に出して言わなくても、「ああ、具合が悪いのだな」ってわかってくれる。だから、元気であれば、あえて言わなくてすむものなら言わないですませたい部分はあるでしょう。もちろんこれは気持ちの中でのことだけどね。そういうのはない?

清水…僕はわざわざ言うっていう意識がない。

濱田…あるものなので、僕は意識して言わないのでもないし、言うのでもない。

佐藤…私はこの人には言うけど、この人には言わないって感じ。

吉川…思春期で一番悩んだことって何かな?

谷本…特にないなあ
(一同爆笑「参考にならない〜!」)


高杉…じゃあ進路を考えた時に心臓病のためにあきらめたことって何かある?これはできないなあって。

谷本…そうそう看護師さんはあきらめた!

佐藤…子どものころの夢はあきらめた。私は小学生の頃は福祉の方を考えていた。手話とか、リハビリ関係とか。具合が悪くなったときのことを考えると、一対一でする仕事はできない。

吉川…神宮さんはどう?

神宮…看護師さん

吉川…やっぱり身近な人を考えるのね。男の子はどうだろう?

清水…うちは兼業農家だから、小さい時は作文に「大きくなったら百姓になりたい」って書いたけど、やってみたら無理でした。

濱田…僕は勉強ができなかったから大学進学を諦めたくらいで、別に何になりたいとかなかった。

高杉…しんどくて、勉強に集中できないとかあるのかな?

濱田…夏休みの宿題なんかやってなかったら、けっこう夜中まで起きてやっていたから、心臓がどうこうは関係ない。

笠原先生…普段の生活で制限を加えなきゃいけない人は、日常生活も皆と同じ様にはできないだろうけど、せっかく手術して元気になったんだから、学習能力とか、日常生活の範囲内であれば遜色ないと思います。今はフォンタン手術をした人でも看護師になった人もいますからね。

吉川…赤木先生のところに思春期の悩みを打ち明けられたりしたことはありますか?

赤木先生…思春期のころの男の子は、病気のことを否定したい年ごろ。でも逆に、病気に対して興味を持つ年頃でもあるのです。自分を見つめる時期でもあるから、心臓病についてお子さんに言う時期でもある。成長は人それぞれだから、難しいけど、思春期は自分自身を理解してもらう時期だと思うのですよね。

吉川…では、思春期に親に理解してもらえなくて反抗的になったりしたことはなかった?

一同…う〜ん?

高杉…親はなかなか手を離したがらないけど、子どもは親がうっとうしくなるでしょ?

谷本…喧嘩した時とか、単発的にはあったかな?

佐藤…高校のときは、送り迎えだけど、校内は一緒に歩かないで別行動で歩いていた。

神宮…私は送り迎えなしで小学校のときはみんなと歩いていた。歩道橋も歩いていた。中学校はみんな歩きだったが、私だけ自転車で行った。


*就労について


吉川…では、最後に結婚と就労についてお聞きします。谷本さんは銀行には障害者枠で入ったのだよね?佐藤さんも保険会社には障害者枠だよね?神宮さんも。でも谷本さんも、佐藤さんも仕事でいろいろ大変だったのだよね?

谷本…障害者枠でもメリットは何にもなかった。でも、3年は辞めずに頑張った。

飛田…辞めためた理由は?

佐藤…「障害者枠だから、給料は減らします。残業はしなくていいです。」でも仕事はどんどんたまっていく。そうすると残業しないわけにはいかなくなる。でも残業代はつかない。だんだん体調が悪くなったから、水曜は休ませてくださいと言ったけど、それを受け入れてくれなかったから3ヶ月で辞めました。半年休んで、次に入ったのは水道会社です。でも、この会社は前とは全く逆で、ハンディがあるから給料は減らさないし、仕事は少し易しめをくれました。上の人の考えが前の会社とは全く違いました。残業はするけど、休んでも何も言われないし、その分とってくれるからよかった。でも、責任のある仕事を任された時はやりがいを感じてすごく嬉しかったけど、他の人に代わってもらえない仕事だったから、長期に休んだ時に困るので自分から外してくださいって言ったことを覚えている。

谷本…採用される時に、人事部の人が分かってくれていても、一緒に働く人が分かってくれてないと困る。結局皆と一緒だし、私は窓口業務も一人で受けたりしたこともあった。特に月末なんかは熱があっても休ませてもらえなかった。電話くらい受けられるでしょって言われて…。もちろん定期健診でも休めないし。

神庭…僕の場合は、残業したいけど、残業しないで帰ってくださいって言われている。

吉川…濱田君は?公務員だよね。いつだったか台風の日も出勤しなきゃ行けないって出勤していたね。

濱田…僕の場合は、障害者枠じゃないから。ただ、履歴書に心臓病のことは書いているし、面接の時には言っている。でも皆と同じ仕事をしている。上司が代われば言うし、同僚にも言っている。だけど、言っているからって特別視されるわけでもないし、してもらおうとも思ってない。ただ、年に1回の定期健診は行かなきゃいけないのでその日は休みますとは言ってある。それくらいしか言ってない。仕事は事務だけど、力仕事もやっている。

吉川…仕事は障害者枠で入ったほうがいいのかな?

飛田…雇用側から言うと、障害者で普通に元気に働ける人が入ってくれるのが一番いいのです。

濱田…僕のパターン。

吉川…でも何といっても、事業主の理解と、同僚の理解ですよね。これがないと、続かないですよね。

飛田…うちの子はさっきも言ったように心臓病を忘れたいから、少々調子が悪くても無理をして仕事には行くし、定期健診は土曜日にしている。病気を理由に休みたくないし、残業があっても、早出があっても、体がしんどくても、とにかく頑張る。周りの人が心配するくらい…。

赤木先生…こんなご時勢だから、就職がとても厳しい。「就職する時に障害者、心臓の病気をもっていますと先に言ったほうがいいですか?これぐらい状態がよければ先に言わないほうがいいですか」ってよく聞かれますよね。

飛田…悩ましいところですね。心臓の病気は見ていて分からないから、最初はおっかなびっくりだけど、雇用しているとだんだんわかってきて、これならいけると思われて、過重労働を強いられていくこともある。そうなったら谷本さんのようなケースでしんどい思いをしなくてはいけないことになる。


*結婚・出産について


吉川…では最後に結婚について。昨年の全国総会でも親は心臓の悪い子の結婚を考えたら、結婚はしても子どもは要らないっていう気持ちがあるけど、皆はどう?悩んだ?

佐藤…私は子どもが生めるかどうか分からないって言いました。

神宮…私もそれは言った。

吉川…結婚に対して迷うとかはなかった?

神宮…相手の親がどう思うか、気になった。

吉川…じゃ、相手の親御さんへはどう言ったの?

谷本…私はだんなさんに言ってもらった。

神宮…私も。何て言ったかは分からないけど、自然に。

吉川…じゃ、逆の立場の飛田さんは?お嫁さんが言ったの?

飛田…そう!お嫁さんが言ってくれたのですよ〜。私も言ってないし、子どもも直接は言ってない。

谷本…うちは両家の顔合わせの時に親が言った。

飛田…最終的にはその場だけど、それはもう決まってしまってからじゃない?だから決まる前に承知してくれていれば、後は儀式だから…。

吉川…じゃあ問題はなかったの?

飛田…皆たまたまそういう理解がある人たちと結婚したってことじゃないかな?

吉川…じゃあ、子どもを生もうと思った時のこと。

谷本…最初から生むつもりだった。

神宮…私は先生に相談して検査してもらった。そうしたら、大丈夫って言われて、そのことを帰って主治医に伝えたら「えっー?」ってびっくりしていた。ダメっていわれると思っていたのかも?

吉川…佐藤さんの時は?

佐藤…私の時はたぶん初めてだったのか、先生の対応が全然違う!結婚の話が正式に決まりそうになった時に子どもが生めるかどうか相談したら、「その時がきたら言って」って言われて。またしばらくして聞いたら「う〜ん、帝王切開ならいけるかなぁ。でも内科医としては勧められないなあ」って言われた。けど、私は「帝王切開だったら大丈夫なんだ!」ってそれだけが頭に残った。だから一人だけは頑張ってみようと思った。主人に対しても直接先生からの説明は全くなかった。だから私の母が主人や向こうのお母さんに病名とか、「こういう状態です」とか全部話してくれていた。

吉川…先生も初めてで迷われたのだろうね。それで、(佐藤)好美ちゃんに続け〜、で(谷本)直美ちゃん、(神宮)ちーちゃんが生んだよね。でも、もしかしたら生めなかったかもしれないじゃない?まわりも、はじめは、生まなくてもいいって言っていても知らない人は「赤ちゃんはまだ?」って聞くだろうし、相手の親御さんも「孫はまだ?」って聞かれると、最初は理解していても、だんだん孫が欲しくなる人もいるだろうし…。

佐藤…私はそれがすごいプレッシャーでした。たぶんみんなが欲しいのはわかっているけど生めないかもしれないから私に対しては両親も主人も何も言わない。自分の親はまだしも、やっぱり自分の中ですごく背負ってしまいました。

吉川…じゃあ、子どもを生まないと決めたら、お嫁さんはずっとそのプレッシャーと戦わなければいけないんだ。

佐藤…生まない選択もあるけど、そっちを選んだ人とか生めない人は、私なんかよりよっぽど強いなあって思う。でも生んだ後はすごく大変だけど…。

神宮…でも一人生んだら「二人目は?」って聞かれる。それがイヤ。

佐藤…私もよく言われるけどね…。

吉川…そういう時はなんて言うの?

佐藤…そういう話の時は皆テンション高い時だから、「いやいやうちは〜…」って言うと、「子どもがかわいそう〜」とかって口々に言われる。だから仲がよい言える人には、あとから落ち着いた時にメールで「こういう理由だから…知っといてね」ってメールを送ってわかってもらう。

吉川…神宮さんはどう?もう一人ほしい?

神宮…うちはもう…。子どもができたら、妊娠5、6ヶ月で入院になると思うから、上の子は幼稚園だけど、そうなったら私の両親は仕事があるから、子どもを見てくれる人がいない。それを考えたら、無理かな。

吉川…それは谷本さんとこもおんなじだよね。

谷本…でもそこが引っかかるからすごく悩んでいる。

吉川…先生、二人生んでも大丈夫なんでしょうか?

赤木先生…う〜〜〜ん、医者も先天性心疾患の人の妊娠・出産のことはまだ情報が足りないんですよ。だから、今後患者さんの同意を得て、登録制にしていこうと思っているんです。妊娠・出産について、合併症はなかったか、安全に子どもが生めたかどうか、それは今いくつかの病院で登録システムを作っているところです。でもそれが出てきてもまだまだ先の話なので、医者の方も本当に大丈夫だよと言えないのはまだよく分からないからなのです。でも心臓病の人に一番よく知っていて欲しいのは、妊娠する前に、身体の状態をチェックしないといけませんよということです。妊娠してからでは検査ができませんから。妊娠前と妊娠後の比較もできませんしね。

谷本…不整脈が出ていても大丈夫ですか?

赤木先生…妊娠中は不整脈が少ないんです。多分ホルモンとかの影響でかなり心臓に不整脈を予防する働きがあるんだと思いますね。逆に分娩後は少し上がります。

飛田…男性陣の意見は?結婚について。子どもを持つことについて。

濱田…欲しいです。結婚したら子どもを生んでもらって一緒に育てたい。

高杉…男性は、結婚したら家族を養っていかなきゃいけないっていうのがあるでしょ。今の収入でやっていけるのかっていうのが問題になってくるのかな?と思うのですけど。

神庭…それはありますよね。子どもを養育するために収入を増やさなければいけない。頑張らなければいけない。体力は大丈夫か?っていう気持ちになりますよね。

佐藤…ちょっと聞いていいですか?女の人はワーファリン飲んでいたら妊娠しないほうがいいって聞きますけど、男の人はどうなんですか?

赤木先生…男の人は飲んでいてもほとんど問題ないです。赤ちゃんを育てていくのはお母さんの身体だから。

女性陣…うわ〜!!@…*?¥3#・・・・

赤木先生…妊娠を避けなくてはいけない心臓病もあります。ひとつは肺高血圧の方、アイゼンメンジャーの方ですね。そしてチアノーゼの残っている方、心不全の方、人工弁特に機械弁を入れている方です。先天性疾患ではこれらの方々がどうしても危険です。

飛田…それは出産が危険なのですか?妊娠自体が危険なのですか?

赤木先生…妊娠すること自体が危険です。妊娠するとすぐ身体の変化が始まるでしょ。胸が張ってきたりとか。ホルモンの状態が変わってきますから。つわりが始まっている頃にはもうかなり進んでいるんです。

佐藤…だから最初からしんどいのですか?私、つわりが終わったら楽になるのかと思っていたのに、中期になっても後期になってもどんどんしんどくなるばっかりだったから。

飛田…それはそうと、何年か前に療育事業で心友会のメンバーと病児を産んだ親の気持ちと本人の気持ちを語り合った時があったでしょう。あの時、親は心臓病で生んで申し訳ないという気持ちがいっぱいある、心友会のメンバーは、親を恨んでいるわけないし、そんなこと大して思ってなくて、それより、大事に育ててもらってありがたいと思っているって話になったけど、自分が親になった今、考え方は変わった?

谷本…(声を詰まらせながら)ものすごく変わりました。元気な子どもを育てるのもすごく大変なのに、心臓の悪い子の子育てはすごく大変だっただろうなと思って…。あらためて両親に感謝、というか本当に大事に育ててもらってありがたいと思っている。

高杉…親はね、心臓病児として生んでしまって申し訳ないっていうか、私が悪かった、私のせいなんだって、自分を責める気持ちがものすごくあって、そういう話もしたよね。

谷本…そんなことはなかった。逆に生んでもらってよかった。今の私には、心臓病で生まれたことによって、いろいろなところでプラスになっている。結婚生活にしても、普通の人より大変なことは多いけれど、それをひとつずつ乗り越えていくことがすごく自信になるっていうか、病気じゃなかったら気づかなかった部分にも気づくことがたくさんあったと思うし、私は心臓病で生まれてよかったと思っています。

高杉…以前、立分さんたちと話したことがあるだけど、それは息子が障害者枠で就職ができるかもっていう話をした後だったからかもしれないけど、うちの子が「俺は心臓病に生まれてラッキーだった」って言ったの。立分さんの娘さんも、「私も心臓病で生まれてよかった。心臓病を通していろんな人と出会うことができた。心臓病じゃなかったら守る会に入ることもなかったし、こういう知り合いができることもなかった」って言ったね。

濱田…当人は皆そう思いますよ。心臓病で生まれたから、他の人たちが体験しない世界が広がるというのが絶対あるから、これは本人にとってプラスだと思う。

立分…なんで心臓病なんだろうって思う部分はありましたか?親を恨むような時もやっぱりあったでしょう?

谷本…私は1回だけあった。うろ覚えだけど、母と些細なことで口喧嘩した時に…。今となってはすごく後悔している。でも、その時はその言葉が出てしまった。その時、お母さんすごく泣いていた。

立分…でも、親としてはつらいけど、その言葉を待っていたかもしれない。この子は本当は我慢しているのじゃないの?って思ってるから、言ってくれたなあってホッとする部分もあるのかな。でも、今、皆の話を聞いてみると、心臓病で生まれて、いろんな人と出会えて、考え方も深くなるし、優しい思いやりの気持ちもいっぱいわいてくるし、だから大きい意味では心臓病で生まれてよかったって言う風に親も子も思えたら幸せですね。親も子もそういう風に言ってもらえるように頑張っていかないといけないって思いました。そんな中で、さっき谷本さんが言ったように「何でこんな身体で生んだの?」っていう思いは1回や2回あって当然だし、親としてもその言葉を聞けたほうが少しは嬉しいかなと思う。うちの子からはまだその言葉を聞いてはいないけど、そういうことを思ってるんじゃないのかなあと、どこかで思ってるから。

高杉…思う一瞬はあるでしょうね。

濱田…でもそれほど深く考えた世界じゃないところで、ポッと言葉が出るだけ。ずっと根に持っているわけじゃなくて、親子喧嘩のときとかに一瞬の感情でそういう言葉は出るだけ。

高杉…分かっているんだよね、誰も悪くないって。

立分…本当にね。誰も悪くないんだよね。心臓病の子どもを生もうと思って生んだのではないですからね。

濱田…普通の親子喧嘩の中でも、「何で私を生んだの!?」みたいな感じはあるでしょう?それと一緒だと思う。

飛田…健常者の中でも「もっと頭のいい子に産んでくれたらよかったのに…」とか「もっと美人に生んでくれたらよかったのに…」とかという話はする訳だし。そういうのと同じなのかな。そう捉えられたら救われるね。

赤木先生…今日はこの座談会を通して、自分の気持ちも新しくなりましたね。若いドクターも直接話を聞ける機会、医者と患者さんとの会話があるともっといいなと思います。実際の日常の診療では時間がなくて、こういう話はできませんから。

濱田…先生と1対1じゃ、なかなか言えないよな。

佐藤…病院では患者さんが多いから、早く出なきゃ、こんなことは聞いちゃいけないかな、とか考えるしね。

笠原先生…今日ここに来られているのはほんの一部の方々で、日々悩まれている方々はたくさんおられると思う。ただ手術して、傷を作って、心臓だけが元気になるのではなく、こういった後々の問題にも大きく関与していく。赤木先生のような成人先天性心疾患のグループの中でも、思春期の問題もさることながら、精神科の先生だとか、精神的なアプローチだとかが大きなハンディを占めていく。心臓病で、将来的に機能が悪い、再手術をしないといけない不整脈の問題と共に、その人たちが精神的にどういう風に成長してきているのか、多分小さい時の手術のこととか、親の過保護的な問題とかで精神的に、成長しきれないという問題も多いかなあと思うのです。僕は外科医ですから、心臓手術して、元気になってよかった〜だけではなくて精神的なフォローを親とともに、それから周囲の守る会とかのサポートとかはすごく大切だと思います。じゃないと親も子も安心できないと思うんです。守る会に協力しながらやらなきゃいけないことはすごくたくさんあると思います。こういう会で話が聞けるのはすごく楽しみだし、深くかかわる時間がなかなかないけど、できるだけ皆と触れ合いたいなと思っている。だから何か言いたいことがあれば相談して欲しいし、今後の、今まさに手術を終えた新生児の方の親御さんやお子さんに生かせればまた問題がひとつずつ解決していけるじゃないかなと思って模索しているところです。

高杉…実は私は先生からそのお話を聞きたかったのです!以前から守る会の活動を、先生方はどう捉えてくださってるのかと思ってたので、今のお話はすごく嬉しいです。それから心友会の方々にお聞きします。これから成人先天性心疾患の方はどんどん増えていきます。そこで問題なのは、不整脈と心不全の問題。ここにおられる方は定期健診もしっかり受診していると思うけど、不整脈も気にしている人たちばっかりだと思う。不整脈はけっこう皆出ているように聞くんですね。最後に自分の不整脈についての捉え方を聞きたいと思います。

清水…不整脈は時々あるけどあまり意識はなかった。以前、不整脈は年を重ねると出てくるものもあるから、これから少し気をつけて定期健診で心電図の変化が出るようなら気をつけてと言われたことはありますが、自覚はありません。

飛田…そこだよね、高杉さんが言いたかったことは。定期健診を受けてちゃんと気をつけようって思って欲しいってことなんですよね。

谷本…特に子どもを生んで考え方が変わった。前にもまして気をつけるようになった。子どものためにも元気でいなくちゃ、って。だから今は健康でいられるように予防、予防ですごい気をつけるようになった。

笠原先生…かつてはファロー四徴症の人は比較的不整脈が出ると言われていたんですが、今はそんなに頻度は多くなさそうです。手術の方法でそんなに出なくなった。ただいったん出てしまったら、意識がなくなるほどの重症の不整脈になることがある。気づいている不整脈ならいいですが、気づいてないところで起こる不整脈も出てくると思うんので、やっぱり定期的に24時間の心電図をしてみるのは重要なんじゃないかと思います。

谷本…質問ですが、妊娠前は不整脈出てなくて、妊娠中に出て、出産後には出なくて、また最近出るようになったのですけど、それはやっぱり年齢のせい?

笠原先生…谷本さんの場合は心臓の中のこととは関係ないような気もするけど。もちろん心臓の手術自体は心房に傷を必ずつけるから、そこが原因で不整脈が出ている可能性があるので、絶対にアブレーションしたらよくなると思うよ。そのためにも24時間の心電図で掴まえなきゃいけないけど、谷本さんの場合は毎日出る場合と1日のうちに出ない場合とがあるから、本当にもし真剣に調べるなら、身体の中に埋め込み型の心電図をして、3ヶ月とか6ヶ月とかずっと入れっぱなしにしてそこから情報をとるやり方もあります。まあ症状がどれくらいあるかにもよるけど、そういう治療もあります。

飛田…やはり年齢にもよるのですか?

赤木先生…そうですよ。健康な人も年を取れば脈の乱れは出てくるんです。その年齢で見方を変えなきゃいけないし、今まで何もなかったからこれからも大丈夫というわけではないんです。

飛田…不整脈の話になると話は尽きないのですが、予定の時間が参りましたから今日はこのへんで。先生方、今日はありがとうございました。心友会の皆さん、これからもいい見本になっていただきたいなあと思います。

高杉…皆希望の星なんだから!

飛田…皆さん、今日はありがとうございました。

Copyright (C) 2007〜2009 心臓病の子どもを守る会(岡山県支部) All rights reserved.